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夢を抱いた過去の自分を、裏切らない生き方をする – 特定非営利活動法人ジャパンハート代表 吉岡秀人氏

Japan
ミャンマー、ラオス、カンボジアなど発展途上国での医療活動に20年以上携わり幼い子どもたちの命を救ってきた、特定非営利活動法人ジャパンハート 代表の医師・吉岡秀人氏。近年では小児がんと闘う子どもを応援する「すまいるプロジェクト」や日本国内でも僻地医療や震災支援などにも取り組んでいる。

特定非営利活動法人 ジャパンハート  理事長

2015.04.14

10代で抱いた夢を、30歳の私が叶えてあげた

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医療の道を志したきっかけを教えて下さい。

メディアで度々報じられる貧しい人々の惨状を見て、子どもながらに自分が救えたらと強く思ったことです。皆さんとそう変わりませんよ、最初は「かわいそうだな」という気持ちからでした。そのような現実を目の当たりにして同じことを思う人は多いのでしょうが、私はその想いを強く持ち続けたということです。

きっかけは誰にでも等しくあるのかもしれません。ただ私が引くと決めた引き金が、たまたまこの分野だった。どの引き金を引くか、あとは人それぞれがもつ個性の違いだと思っています。

私にはたまたま医師の仕事に才能があっただけのことです。ある人はビジネスで、ある人は報道分野で、など色々あって然るべきなのですが何の職に就いているかが問題なのではなく、コミットしているかしていないかが大事なのです。その道に縁があって進んでいるにも関わらず手を抜いている人、いい加減に仕事をしている人に対しては「なんてもったいないのだろう」と感じますね。今日と同じ日は二度と来ない。一度きりの人生だというのに、それでは本当の自分の才能に辿り着けないでしょう。

年間500人くらいの医師や看護師など医療従事者が私のところに同じ活動をしたいとやって来てくれます。「昔からこういう活動をしたかった」「やりたいと思ってるんですけど……」といった言葉をよく耳にしますが、私がそういった人たちによく話すことがあります。私は30歳で初めて海外に出たのですが、10代で抱いた夢を30歳の私が叶えてあげた。これを私は自分の人生で繰り返している、ただそれだけのことなんですね。

やりたいと思っていたのに、やれていない。そのような人は、夢を抱いた過去の自分を裏切っているのだと。もっと純粋だった子どもの頃の夢を、今の自分は叶えてあげられるにもかかわらず、なぜそうしないのか。

25歳のあなたが抱いている希望を40歳のあなたはまた裏切るかもしれない。そうやって一生裏切り続けていくのか。まずは一度、叶えてあげよう。自分の人生を裏切らない人は、また人生にも裏切られることはありませんから。

20年以上も海外医療活動に従事されていますが、なぜ日本ではなく海外だったのでしょうか。

よく聞かれる質問ですが答えは簡単で、日本では基本的に誰でも医療サービスを受けられるのに対して、海外には重度の病を抱えていてもお金がなければ医者に診てもらえない「絶対的医療過疎」の国が多く存在しているからです。

日本にも近くに医者がいないなどの相対的過疎はありますよ。ただ、やって来た患者を診ないということはありえません。海外では現実にそういうことが起こっている。

10代で医者を志してから、私がいなければ医療が受けられない人がいる場所に行こうと決めていました。

大事なのは、自分の人生に対して宣言しておくこと

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最初に向かったミャンマーはどういった経緯で?

大学を卒業してそれまで大阪、神奈川の救急病院で4年ほど医師をしていた私に、ミャンマーでの医療活動の話が来たのは1995年、30歳のときでした。前に話したように私は絶対的医療過疎のある場所であればどこでも良かったので、ミャンマーという場所にも特に驚きは感じませんでした。

「時が来た」、ただ静かにそう思ったのを覚えています。国際医療に従事する日本人の医師などほとんどいない時代。1年で行って帰ってくるといった類の話ではありません。海外医療に身を投じるということは、全てを捨てて行くこととほぼ同義でした。

当時は、医師は医局に所属するのが当然という風潮でしたから、そこを辞めて行くこと即ち収入が途絶えて社会復帰も困難になるだろう。結婚も難しいだろう。そういった想いが頭をよぎりますが、自分は医局にいたくて医者になったのではない。とにかく、まずは自分が抱いた夢を実現しなければ、と単身ミャンマーに行きました。

そう覚悟を決めていたものの、結局現実は杞憂に終わりましたよ。「捨てる神あれば拾う神あり」ですね。前例が身近にないから勝手にそう思い込んでいただけで、全てを捨てる必要など何もありませんでした。

ミャンマーに発つ前の心境はいたって自然体で、とても澄んでいました。やっていけるのか、これから一体何が起こるのかという不安は当然ありましたよ。ただ、私は海外医療の道を幼い頃に志したそのときに覚悟は決まっていましたから、恐怖に苛まれることや悩むことは別にありませんでした。戦闘機に乗るときのパイロットは、足が震えることもあるかもしれませんが、その前から覚悟さえ決めていれば怖気づくということはないでしょう。私も全くそういう心境にあったと思います。

海外に行くことを、周囲はどのような反応で見ていましたか?

就職した頃から自分は海外医療の道に進みたいのだと周りには公言していたので、特に驚かれることはありませんでしたね。むしろ応援してもらったほどです。

ミャンマーから帰った私はもう一度小児外科を勉強し直そうと2003年、岡山と川崎の大学病院で講師として働いていました。大がかりな手術は私ともう一人の医師で担当していたので、どちらかが辞めただけで、教授からしたら大変なことなのですが、ある時教授に「お前はもう辞めて、海外に行かなければならない」と背中を押してもらったことがあります。

実はその頃、私ともう一人の医師も医局を辞めようと秘密裏に動いていたことが判明したのですが、教授はその人に対しては怒りを露わにしていましたね(笑)。教授はその後も医師団を連れてミャンマーに来て無料で手術をしてくださるなど、私の活動のとても良き理解者でいてくださいます。

「自分の人生に対して宣言しておくこと」が大切なのです。自分にも、周りにも。私はこれがやりたい。こう生きていきたい。かねてからそう公言していれば、いざ時が来た際に覚悟を決められますし、周囲も理解してくれるでしょう。

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