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肩書きではなく、自分の人間性で勝負する- FAST RETAILING PHILIPPINES, INC. 久保田勝美氏が、ブラジル10年、アメリカ7年勤務を経て選んだ、フィリピンのユニクロでの挑戦

Phillipines
ファーストリテイリング・フィリピン法人で統括マネージャーを務める久保田氏は30年近くの海外ビジネス歴を持つ、いわばABROADERSの大先輩だ。中南米、北米、アジア、ロシアなど様々な国で拠点を立ち上げ、ビジネスを展開してきた経歴を持つ。現在はフィリピンにてユニクロのブランド浸透を図るべく、新たな挑戦をしている。

FAST RETAILING PHILIPPINES, INC.  Chief Operating Officer

2015.05.26

ブラジルで驚いた、自己紹介での出来事

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久保田さんのお仕事について聞かせて下さい。

今は当社フィリピン法人にて統括マネージャーをしています。フィリピンにあるユニクロの20数店舗をマネジメントしながら、どんどん新たな出店もしかけていっています。

赴任してからの3年弱でスタッフは1000人強、店舗数は20を超えるまでに急拡大しています。

2012年4月から現職とのことですが、久保田さんのこれまでの経歴について教えて下さい。

大学はポルトガル語学科に所属し、ブラジルの地域研究などをしていました。大学3年次が終わる頃、親友が日伯交流協会の研修生プログラムで1年間ブラジルに行くことを聞き、私も興味の赴くまま参加することに。それが大きな転機となりました。これは当時のブラジル平均給与と同程度である月収7500円で1年間働くことでブラジルへの理解を深め、また日本の若者を鍛えようという趣旨のものでした。

勤務初日から面喰う出来事がありました。私が「上智大学の学生で、日伯交流協会の研修生として来た久保田勝美です」とポルトガル語で自己紹介をすると、ブラジル人の相手は「ダメダメダメ。そんな協会も大学も知らない。大事なことから話せ」と言ってきました。しかし私にはその大事なことが何なのか分かりません。尋ねると「名前だ」と。「久保田勝美です」「そうか、その次に大事なことを言え」。また分からないので尋ねると、「決まってるだろう、何が好きかだよ!」と続くのです。次に、私は何をしたいのか、ブラジルになぜ来たのか、という返答を促されました。

ブラジル人は、初対面だとしても最初から人の本性、根っこの部分に入り込んでくる明るい人々でした。それ以降、私は今でも自己紹介の時には名前から言うようにしています。日本のビジネスの流儀からは外れてしまうかもしれませんが、まず人と会うときは自分が何者であるかを意識していたいのです。

今であれば名前の後に、ユニクロのフィリピン代表をしています、と続けますが、これだって近い将来どうなっているかは誰にも分からないでしょう。ブラジルでつきつけられた、「自分は何者か」という問いは今日も私に大きな影響を与えています。

新卒当時からファーストリテイリング社に入社されたのですか?

最初はYKKに入社しました。これも、最も早くブラジルに行ける会社という基準での選択でした。1年間のブラジル研修ですっかりこの国に魅了された私は、早く戻りたくて仕方がなかったのです。貿易営業を担当していましたが、結果入社1年半後には駐在員としてブラジルに赴任することになりました。

ブラジルでの勤務が10年近くなり、なんだか仕事を楽だと感じるようになっている自分がいました。焦りを感じ、もっと自分に広がりを持たせたいと、今度はアメリカ勤務を希望して1997年赴任。ケンタッキー州にある人口4000人の小さな町にある、YKKが買収した100年の歴史がある会社の工場でした。現地社員はこちらの言うことを簡単には聞いてくれません。そんな中でNY・サンフランシスコなど大都市のクライアントを周り、メキシコ・中米・カリブにある縫製工場にも営業をかけ、ケンタッキーの工場もマネジメントするという心身共にタフな仕事でしたが良い経験をさせてもらい、結局アメリカには7年いました。

次にシンガポールに転勤、入社18年目にして初めてのアジアでの勤務でした。ここで自分がアジア人であることを強く実感しました。アジア人同士で仕事ができる快適さは、20年近くアメリカ大陸で働いてきた私にはとても新鮮なものでした。ブラジルだって親日的ですし200万人近い日系移民もいます。アメリカの人たちも人に分け隔てなく接するフェアな人々です。それでも、同じアジア人同士である一種の安心感、日本への理解の相対的深さが私にとっては心地の良いものでした。

転職して最初の大仕事はバングラデシュで

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転職された経緯は?

YKKは長く勤めて大好きな会社でしたが、部品メーカーとして、納入先の売り上げが下がれば自分たちも下がるのはやむなしという面もありました。自分たちがどれだけ頑張っていても、その必然性からは逃れられない。次第に、自己完結でビジネスのできる小売業に興味がわき、多少なりとも今までの仕事と関係のあるアパレル業に挑戦してみたいと思うようになっていた頃、友人から「ユニクロはどう?」と勧められました。

2006年当時、日本国内では既に大企業となっていたファーストリテイリングですが海外への本格展開はまだこれからという時期で、日本勤務経験もない私は店舗にも行ったことがありませんでした。しかし今後の海外事業展開への意欲に興味を持ち応募、入社に至りました。

入社されて最初、どのような仕事を?

入社初日、当時の上司が私に言ったのは「何をしに来たのですか?」でした。急拡大の最中にあったユニクロには、特に海外事業に志のある人材が集まり始めていました。私もそのひとりとして入社したのですが、何をすればいいのか分からず、最初の1年はとても苦労しました。

ただ行動しないことには何も始まりませんよね。当時もがきながらも私が担当したことが、新たな生産拠点の立ち上げでした。中国やベトナムが主だった生産拠点をバングラデシュにも新たに出すことを提案、その後実際に立ち上げるまで携わりました。

私が入社した2006年頃、バングラデシュに日系アパレル向けの縫製工場はほとんど存在しませんでした。しかし前職のYKKは既にあった。中米で一緒に仕事をしていた先輩がちょうどYKKバングラデシュの社長をされていて、そのご縁から50社ほど縫製工場のリストをくださったので、一つひとつリキシャ(三輪自転車タクシー)に乗って訪問して提携先を探して契約、無事に生産拠点を立ち上げました。

バングラデシュ立ち上げの後には海外事業開発担当となり、ロシア、台湾、マレーシア、タイと新拠点を次々と立ち上げるミッションに就きました。

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