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自分のスキルを武器にして、どんな場所でも仕事を見つける−TERADATRUST ADVISORY INC. 寺田未来氏が体現する、これからを生きる女性に勧めたい働き方

Phillipines
会計事務所系コンサルティング会社TERADATRUST ADVISORY INC.の代表取締役社長。日系企業のフィリピンビジネスをサポートすることを目的とする同社を設立し、フィリピンへの進出支援業務から、進出後の会計や税務、人事労務等を支援している。

TERADATRUST ADVISORY INC.   代表取締役

2013.12.10
活躍したい女性にとって、フィリピンはチャンスに溢れている−TERADATRUST ADVISORY INC. 寺田未来氏が一押しする、フィリピンの働きやすさとは?

綺麗なオフィスで働きながら、一年中サーフィンができる職場環境。

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-現在フィリピンで起業されていますが、この場所で働かれることになったきっかけを教えて下さい。

私は新卒で銀行に務めていたのですが、3年で辞めて米国公認会計士の勉強をしていた頃、フィリピンで会計事務所をしている銀行時代の先輩から、「ちょうどその資格を持っている人を探しているから、一緒に働こう」と誘われたことがきっかけです。そんなご縁があってたまたま来て、2013年の年末でここでの仕事も6年目に。まさか自分がフィリピンで働くことになるなんて、夢にも思っていませんでした。

先輩からお誘いをいただいたときも、どんな国かまったくイメージがわかなくて。

でも、いつか英語圏で働きたいと思っていたので、公用語が英語だと知って興味を持ちました。それで一度フィリピンに行ってみたんです。すると、自分のイメージでは掘建て小屋のようなオフィスで働くのかと思っていたんですけど、日本のように綺麗なオフィスばかりでびっくり。

期待していなかった分印象がとても良かったのと、私はマリンスポーツが大好きなので、常夏で一年中サーフィンができる環境にも惹かれて、フィリピンで働くことを決めました。

-なぜ英語圏で働きたかったのでしょうか?

父親が航空自衛隊で転勤が多く、アメリカに何度か住んでいたんです。0歳から2歳までと小学校2年生から4年生までをオハイオ洲で過ごしました。
そのときに英語を身に付けて、高校1年の夏から高校2年の夏まではボストンへ留学。ここでの経験が英語圏での再挑戦への思いに繋がります。

実は、あまり詳しく調べないまま留学先を選んでしまい、その結果、芸術家になることを目指して、油絵や陶芸を学ぶ学生が集う全寮制の芸術専門学校に通うことになったんです。

午前中は数学や国語などを勉強するのですが、午後はすべて美術の勉強。芸術の授業もついていくのに必死でしたが、普通の授業でも、日本と授業のスタイルが違って何をするにもディベート形式なので、積極的に発言できず苦労しました。

結局、1年間ずっと帰りたいと思いながら過ごしていたので不完全燃焼で終わってしまい、だからこそ、「いつかまた英語圏で挑戦したい」という思いを抱くようになりましたね。

どんな場所でも仕事を見つける母のように、手に職をつけたくて。

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-寺田さんにとって、働き方のロールモデルのような方はいらっしゃいますか?

私の母ですね。母は、専業主婦をしながら10年ほど税理士事務所で働いています。きっかけは、父と結婚してたまたま近所の税理士事務所で働き始めたこと。そこで専門性を身に付けて、父の転勤がある度に、新たな場所で税理士事務所を見つけて働き続けています。

どんな場所に行っても、自分の持っているスキルで仕事を見つける。そんなスタイルで働く母の姿には影響を受けています。その経験から、学生のときから自分の進路にはふたつの道があると考えていました。

ひとつが、母のように何かしら手に職を付けて、どんな場所でも働く道。ふたつ目が、企業に入ってそのなかでずっと働く道。私は、新卒の時には後者の選択肢を取り、銀行で働くことにしました。

-なぜ銀行で働くことにしたのですか?

私は文学部英文学科だったので、数字を扱う仕事は苦手分野。でも、社会に出るうえで、まずは数字を通して会社を色んな側面から見る必要があると考えてました。

そして大学3年生になると色々な会社からパンフレットが送られてくるのですが、そのなかにたまたま銀行からのものがあって、グループ会社のカルフォルニアにある銀行の話が掲載されていました。「いつかアメリカで働きたい」と思っていたので、興味を惹かれて受けることにしました。

銀行の社員の方に色んな話を聞くなかで、窓口業務だけではなく、中小企業の社長さんに融資や銀行にある商品の提案をするという仕事があると知り、それだったら社会を知ることができて面白そうと思い、法人営業を希望してそこに入ることができました。

銀行で働くなかで勉強になることはたくさんありましたが、銀行の看板を私から外したら何も残らないなと思っていました。また、結婚して退職し、しばらく時間ができてから働きたくなっても、スキルがなくて雇用されないのはいやだったので、学生時代に少ししていた米国公認会計士の資格勉強を再開することに。そして、本格的にそちらにシフトしたいと思って、銀行を3年目で辞めました。

米国公認会計士を目指し、九十九里に籠った日々。

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-銀行を退職された後は、ずっと勉強をされていたのですか?

いいえ。銀行を辞めた後は、銀行時代のお客さまだったアパレル系のコンサル会社で働いていました。でも、1年で辞めて勉強に集中することに。その環境を整えるために、友人からの誘いが多く、遊ぶ場所も充実している都内から離れる必要があると感じ、千葉の九十九里に引っ越しました。

-九十九里といえば、海が近い場所ですね。

そうですね。実は、銀行を辞めた年の夏に、友人とサーフィンをしに一度ここに来て、「こんな海の近くに住んで、1日数時間でもサーフィンができたら良いな」と思ったんです。そのときの思い付きがきっかけで、勉強場所を探したときに九十九里を候補にあげました。ここだったら家賃も安いしサーフィンもでき、都内からそこまで離れすぎていないので友人にも会おうと思えば会える。

さっそく九十九里の一宮海岸のすぐ近くのアパートを借りて、海の50メートルくらい手前での生活を開始。朝起きて海に入ってから勉強するときもあれば、勉強してお昼を食べて、眠くなったら海に入るときも。とにかく、勉強、ご飯、睡眠の繰り返し。邪魔をするものが何もなかったのではかどりましたね。ここに籠ったのは、約8ヶ月ほどでした。

米国公認会計士の資格試験は4科目あるのですが、1科目ずつ受けることが可能です。

だから、4科目一気にではなく、2科目ずつ受け、最初の2科目に受かりました。その段階で、フィリピンに来るきっかけとなった銀行時代の先輩に再会したのです。

東京で偶然再会したときに、「いま米国公認会計士に2科目受かった状態なんですけど、まだ仕事を決めていなくて。受かったら何をしよう」と相談をすると、「うちでちょうどその資格を持っている日本人を捜しているから、来てみなよ!勤務先はフィリピンのマニラだよ」と言われ、そこからフィリピンに関わる人生が始まりました。

 


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