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元・公務員が海外起業、カンボジアに運命を感じて人材会社を立ち上げるまで – Creative Diamond Links Co.,Ltd. 代表 鳴海貴紀氏

Cambodia
公務員として20年以上の順調なキャリアから一転、鳴海氏はカンボジアでCreative Diamond Links Co.,Ltd.という人材紹介会社を興した。起業の情報が極めて少ない環境などに苦労しながらも事業を拡大し、今ではカンボジア国内の人材紹介実績数ナンバー1を誇る会社に成長させている。

Creative Diamond Links Co., Ltd.  代表者

2015.11.10

やりがいを感じたハローワークでの仕事

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御社の事業内容について教えて下さい。

カンボジアの首都プノンペンで、2012年5月から人材業をしています。カンボジア国内の日系・外資企業に対してカンボジア人、日本人、中国人をご紹介する人材紹介業を軸としながら、通訳者やドライバーの派遣、また人材開発にも力を入れております。

従業員はカンボジア人だけでなく日本、ドイツ、フランス、中国など様々な国籍のスタッフが所属し、国際的な専門知識およびコネクションが事業に広がりを見せています。おかげさまでカンボジア国内の人材紹介では実績数がナンバー1となっています。

鳴海さんの経歴について教えて下さい。

私は国家公務員からの脱サラ組です。出身は北海道で、キャリアのスタートは高校卒業後に勤めたハローワーク函館でした。

大学受験の滑り止めとして親に公務員試験を薦められ、試しに受けてみたところ合格しまして。すると一気に勉強へのやる気が失せて、センター試験初日の1時限目の途中で止めて帰りました。高校は進学校で、卒業生はたいてい大学に進むものだったので、私のように就職する生徒に進路指導はありませんでした。知識のなかった私は、公務員試験に合格すなわち就職かと思い、実は試験合格後に官庁を巡って面接を受けなくてはならないことを知らなかったんです。私が友人からの話でそれを知ったのは、もうどこも採用試験が終了したとき……。でもハローワークはまだ終わっていなかったので、履歴書も白紙の状態で面接に駆けつけました。面接では「君、うちに入れなかったらどうするの?」と聞かれ「そしたらハローワークに行きます」なんて大喜利のような返答を真面目にしていましたね(笑)。そうして図らずもハローワーク函館に配属され、私の社会人生活が始まりました。

私が就職した後にバブルがはじけ、ハローワークには連日失業者が殺到していて、果たす役割は大きなものでした。そのような時勢も手伝って仕事にはとてもやりがいを感じていました。求職者一人ひとりのことを想って、電話帳の企業ページの上から下まで電話をくまなくかけて求人を探し、採用が決まったらご家族総出でお礼にお越しくださったこともあります。充実した日々でしたね。一方で、求職者本位になっていないと制度を個人的に不満に思うこともありました。より中枢の「仕組みを作る側」に行きたいと思うようになり、その後北海道庁、厚生労働省(東京)に出向しました。

公務員として順調なキャリアを築かれていたのに、なぜ海外で起業するに至ったのですか?

東京の厚生労働省に行ってからは仕事も特に忙しくなりました。また中枢のほうに行くということは、ハローワークで喜びを感じていた、求職者一人ひとりの顔が見える仕事からは遠ざかることを意味します。家に帰ることもままならない、何のために働いているのか分からない日々が続き、さすがに心身共に疲弊しました。制度も私ひとりでどうにかできる問題ではありません。大きな組織の歯車でしかないことに失望し、次第に「職場を辞めたい」と思うようになっていました。ちょうどその頃、色々な理由が重なり離婚も経験しました。
「もう失うものは何もない」
一生公務員として働き妻子を養っていく必要もなくなった私に、退職の現実味が増していました。

いつか海外で暮らしてみたいという考えはずっと私の中にあったのですが、それはリタイア後というイメージ。でも、このタイミングでふと「別に今でもいいじゃん!」と思いつき、海外での起業に興味を持つようになったのです。

カンボジアに欠けていた「マッチングシステム」

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なぜ、起業の地としてカンボジアを選んだのですか?

最初は、起業する国も事業も全くノープランでした。北の生まれで暖かい場所に憧れがあったので、「南の国がいいな」というくらいのものでしたね。方向性を東南アジアに定めてからも、カンボジアは私の中でどこかイメージの湧きにくい国だったのですが、知人がちょうどカンボジアでビジネスをしていて、その彼が日本で会う度に「カンボジアはいいよ」と話すんです。それで興味が次第に湧き、10日間のスケジュールで視察に行きました。

今思えば、何のプランも無かったことがかえって良かったように思います。私が今まで見てきた人々から察するに、「この国でこのビジネスをする」と最初から決めて来た人のほうが失敗率が高いように感じます。実際に事業を始めてみてから、「カンボジアでこのビジネスをするには時期尚早だった」ということがままあるのです。何かやりたい事業があるのなら「他の国でもいいのでは?」、ある国でビジネスがしたいなら「他の事業でもいいのでは?」。そのくらいのスタンスでいたほうがいいと私は思います。何かに固執することは、失敗リスクも高めるということではないでしょうか。

視察に行かれて、どのような経緯で人材業をすることに決めたのですか?

10日間の視察旅行の初日は、アンコールワットなどの遺跡群があり観光地として有名なシェムリアップで過ごしました。当初は土産物のお店でもしようかと考え、現地の観光協会みたいな場所にアポをとって話を聞いていました。そして夜に街を歩いていると、バイクタクシー運転手の青年に日本語で声をかけられたんです。彼は観光客と話すうちに流暢な日本語を身に着けたそうで、面白いと感じそのまま話をしました。日本語を独学で覚えた彼が月50ドル程度の稼ぎの少ない仕事に就いているのが疑問だったので理由を聞くと、彼は「僕にはコネクションが無いから」と答えました。

その時、街中で見かけた求人広告を思い出しました。電柱や壁に、無数の求人の貼り紙がべたべたと貼られていた光景です。「この国にはマッチングインフラがまだ整っていないんだ」と気がつきました。カンボジアでは、地元の有力者などと繋がっていないと仕事の選択肢がぐっと狭まるのです。

これに気づいてからは、すぐに人材紹介業への興味が湧きました。翌日には首都プノンペンに移り、人材紹介業をするという観点でカンボジアを見るようになっていましたね。既存の人材紹介会社を色々見て回りましたが、求職者をないがしろにしているところがほとんど。また、価格やルールなど業界のスタンダードも無い状態でした。「カンボジア人に、能力に見合った仕事を紹介したい」という想いを胸に、公務員の仕事を辞めることを決意しました。

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