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東南アジアを知ることで、日本はもっと強くなる~留学を通じてアジアに対する既存イメージを変える– JEDUCATION 代表 長谷川卓生氏

Thailand
オーストラリアの大学で学んだ長谷川氏は、早くから東南アジアの持つ大きな可能性に魅せられた。転職活動で訪れたタイに縁を感じて就職、起業。以来、日本とタイの文化交流の橋渡し役として留学エージェントをはじめとした事業を営む。

JEDUCATION  代表

2015.09.29

日本人の「上から目線」を何とかしたかった

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事業内容について教えて下さい。

当社は1999年にタイで設立した、タイ留学を日本に普及するための留学エージェントとして出発した会社です。留学というと欧米へ行くのが一般的ですが、東南アジアも選択肢のひとつとして考えてもらいたかったというのがあります。

それが創業して1年経った頃からタイの人々に日本留学を提案する事業も始めました。また留学生募集の前段階として日本語の語学学校も運営しており、これは現在タイに2校あります。

また日本から帰国したタイ人留学生や、当校で日本語を学んだ学生たちの在タイ日系企業の就職も当社でお世話させていただきたいという想いから、人材紹介事業もしています。

「語学学校運営」「留学エージェント」「人材紹介」これら3つの事業をすることは、日本に興味のある人材を募集し、育て、彼らに日系企業で活躍していただくといった一連の流れを当社サービスでまかなえるという仕組みになっています。

また、潜在層の日本への関心を掘り起こしたいとの考えから2001年から留学フェ アを年2回のペースで開催しています。近年はバンコク日本人商工会議所も共同で開催するなど年々大きなイベント化してきており、今年2月には「JAPAN EXPO IN THAILAND 2015」を開催。3日間で約7万5000人にご来場いただきました。

東南アジアへの留学を日本に流行らせたかったというのは、なぜですか?

日本人が欧米だけでなく東南アジアにも留学に行く―。そんなことが当たり前になるような時代を作りたいと思ったのが出発点でした。

今でこそこの感覚も変容してきているとは思いますが、昔から依然としてあるのが日本人のアジア諸国に対する「上から目線」、これをどうにかしたいと思ったんです。日本人がこの感覚から脱しないと、将来日本にとって危険なのではないか……創業時、私が抱えていた想いです。

それには柔軟性の高い若者が観光目的などでなく留学として来てホームステイなどを通じてタイを見つめることで、軽減されるのではないだろうかと考えました。若者がメディアとなることで、既存概念にとらわれない新たなイメージを作っていってくれるのではと思ったのです。

なぜそこまで東南アジアに思い入れがあったのでしょうか?

不思議と、これといった理由はないのですが……昔から気になる存在だったのは確かですね。

建設会社に勤めていた父は海外出張が多く、インドネシアやフィリピン、タイ、その他アジア以外の国々もよく行っていて、駐在もしていました。幼少期の私は母と共に日本にいましたが、時折私たちが現地を訪ねることもありました。

父は私に「日本は小さい国だぞ」とよく話していましたね。だからかもしれませんが、私の中で外国というのは日常の一部にある身近なもので、実家の街を離れるとすぐ「ここはまだ日本?」と聞くような子どもでした。「日本から外に出るのが当たり前」という意識が自然にあったように思います。

また、私は日本の大学在学中にオーストラリアの大学に留学してそのまま現地で卒業したのですが、そこでは国際経営学を専攻していました。オーストラリアは地理的に東南アジアと近いこともあって当時から東南アジアに注目していましたし、結びつきも実際強かった。日本ももっと東南アジアに目を向けたほうがいいのではないか、と思い出したのはここでの経験がベースとなっています。欧米に偏重したイメージの落差を払拭するには東南アジアの真の良さを伝えたらいいのではないかと、大学卒業時はビデオジャーナリストもいいなと考えていましたね。

寄り道はしたけれど、ムダはひとつもなかった

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どのような経緯でタイに来られたのですか?

オーストラリアの大学を卒業して日本に帰国しましたが、日本の大学生の大半が在学中に就職活動をして卒業と同時に働き始めるということを知らなかった私は就職に出遅れました。コンビニでアルバイトをしながら、東南アジア関係の仕事に就きたいという視点で活動して内定した先は、ベトナムに進出する日系企業を対象とした投資コンサルティングの会社でした。

1995年、24歳で入社すると同時にベトナム駐在となり、1年間ホーチミンで仕事をしました。でも会社の方針で日本に帰国したら、すぐに退屈に感じてしまって転職することに。またいずれ東南アジアに出る時の為に自分には営業経験が必要と考え、友人が紹介してくれたCS放送関係のスポンサー営業の仕事に就きました。

でも転職先の会社も、半年ほどで辞めてしまいました。この頃もずっと頭の中にあったのは東南アジアのイメージを変えることだったので、東南アジアにまつわる番組制作などを提案していましたが、広告事業の会社にとってそれは聞き入れられないものでした。

次は、起業を視野に入れながらまずは現地で就職をしようと、バックパックを背負ってシンガポール・マレーシア・タイの3ヶ国を巡りました。

マレーシアでは仕事のご縁がなく、シンガポールでは人材紹介会社に登録して面接など受けました。実を言うとタイは「ここまで来たんだから、ちょっと寄ってみるか」と軽い気持ちで足を向けたに過ぎないのですが、滞在中にシンガポールでの案件がダメだった知らせを受けたのと、ある社長との出会いがちょうど時を同じくしてあったことから、そこで拾ってもらい働き始めました。

私にとって3社目となったのは、撮影コーディネイトをする会社でした。映画やCM撮影などをする場所のロケハンやアポとりなどに奔走する日々でしたが、一時期ビデオジャーナリストに興味のあった私からすれば通じるところも少しあり、面白い仕事でした。

撮影コーディネーション会社で1年ほど働いて、1999年3月、当社を設立するに至りました。ここでようやく落ち着いたんですね(笑)。色んな仕事を少しずつ経験してきましたが、辿りついたのは留学エージェント事業だったんです。

寄り道はしてきましたが、後から振り返れば何ひとつムダではなかったように感じます。コンビニでのアルバイト経験も接客の良い勉強になりました。様々な経験を経た上で今の仕事に出逢えたことはラッキーでしたね。

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