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何かを成し遂げるには潮目を読め~引きこもりから海外起業までに至った「引きの強さ」 – 上海天家餐飲管理有限公司 代表取締役 島原慶将氏

China
中国に日本人が経営する日本料理店は数多く存在するが、小規模経営の店が大多数を占める。その中で「天家」を仕掛ける島原氏は過去10年で上海の一等地や有名ビルの中に店舗を増やし、多くの中国人客に支持される店を作り上げ、業績を伸ばし続けている。

上海天家餐飲管理有限公司  代表取締役

2015.09.01

「逃げて」海外に出た自覚があるから進歩できる

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事業内容について聞かせて下さい。

当社はマグロを中心に据えた日本料理店を上海・蘇州に13店舗、深圳・無錫・珠海のフランチャイズ3店舗をあわせて計16店展開する会社です。中国には日本料理店といっても現地にいる日本人を相手に商売をする店もありますが、当社は中国人のお客様だけをターゲットにした「日式の」料理店です。

中国で「日式」と呼ばれる日本料理は、日本人のお客様から見れば少し不思議に思われるかもしれません。世界各地で見かける日本料理店の中には、日本人からすると「こんなの日本料理じゃない」と感じてしまうものや、外国人が経営しているお店も多いのではないかと思います。サービスのクオリティに関しても、まだまだ至らない点もあるでしょう。

しかしそれは現地の人を見て商売していれば、重要ではないと理解できます。お店の良し悪しを決めるのは現地の人の好みです。正しい和食かどうかは重要ではありません。日本人が基本に忠実というのは美点でもありますが、融通が利かないともいえるでしょう。

島原さんは中国で起業されたそうですが、日本にいた頃から飲食業界にいたのですか?

いえ、実は飲食業界出身ではなく、料理もできないんです。学生時代に居酒屋でアルバイトしたことはありますが、これだけでは飲食業界の経験があるとは言えませんよね。

高校時代は全く勉強していなかったのですが東京の大学に通いたいと思い、2年遅れで大学に進学しました。建築学部を専攻したところ、入学早々、周囲のやる気や才能を目の当たりにして「自分は向いていない」と悟り、卒業後は靴販売のエービーシー・マートに就職しました。当時上場間近といわれていたベンチャー企業を就職先に選択したのは、いずれは自分で起業したいという想いが少なからず関係していたように思います。

寝食もままならないほどがむしゃらに働いていましたが、今思えば本当に楽しかった。毎日イキイキしていて、当時が社会人として自分の最盛期だったとさえ思いますね。また「会社はここまでやらないと上場はできないのだ」ということも実感値として知りました。夢とか社会的使命といったキレイごとだけではない、競合に勝って儲からなければ明日はないという商売のリアルを学べたことはとても良い経験になっていて、今の私の価値観にも大きな影響を与えています

3年勤めたところで、当時の上司に起業・独立するからと誘われ退職。しかし新しい会社はうまくいかず1年で解散に。20代後半で、私は引きこもり生活に突入しました。働いていた頃の貯金があったので最初は東京で、そのうち家賃が払えなくなってくると実家の高知に戻りました。テレビを見て散歩をして食べて寝て……そんな無為な日々を過ごしていると自己顕示欲ばかりが過剰に育ちます。卒業して4年、大学の同級生は仕事も面白くなっている頃だろうと想像すると人にも会いたくないという日々が2年ほど続きました。

つまるところ、私が海外に来たのは「逃げ」でした。30歳を目前にして、何のしがらみもない場所で一度人生をリセットしようと考えただけであって、行き先はどこでも良かったんです。ちょうどその頃中国ビジネスが魅力的だという報道をよく見かけたのと、日本からも近くて航空券が安い、それだけを理由に中国を選びました。

ここぞという場面で重要な人とつながる、引きの強さも必要

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中国に来られてからはどのような経緯で起業されたのですか?

約10年前の2004年に上海に来ましたが、私にとってこれが初の海外だったため、見るもの全てが新鮮でした。まずは言語、と語学学校に行ったら学費が高いので諦めましたが、現地人の彼女ができたことで彼女が両親と暮らす家に居候として転がり込み、その場所が私にとっての語学学校のようなものとなりました。

朝、働きに出る彼女を見送り、彼女の父親と一緒に買い物に出かけて(上海は男性が家事をすることが多い)、おじさんたちが集まって麻雀するのを眺めて、という日々を過ごしていたのですが、ふと「まずい、これでは自分が海外版ニートになっているだけだ」と気がついて。人生を変えたくてわざわざ中国まで来たのに、いつの間にかまた日本と同じような生活になっていたんですね。

どうやってそのような日々を変えたのですか?

人生には、その都度自分を引き上げてくれる存在がいると思います。潮目が悪い時は何をやってもうまくいかないから、じたばたあがいても仕方ない。でもひとつだけ私が確信して言えるのは「潮目は必ず変わる」ということです。その時の引きの強さが、その後の飛躍につながるのだと思います。

私にとって、人生の潮目を変えてくれた人がふたりいました。

ひとりはSさんといって社会人になった当初から私に高級寿司店での頼み方など色々なことを教えてくださった方です。私が中国に行くと言い出した時、周囲のほとんどが反対する中、Sさんだけは私の話を大笑いして「お前みたいな奴は日本にいても迷惑だから行けよ」と言い、その後ビザの相談にも乗ってくださいました。

上海で結局くすぶっていた私はまたもやSさんに紹介され、香港でマグロの卸業に就きました。マグロは飛ぶように売れたのですが私の手元には利益が残らなかったので、今度こそ起業しようとまた上海に戻りました。

しかし私には起業資金がありません。元漁師だった父のつてで、築地にあるマグロ仲卸の会社社長Hさんを紹介してもらいました。マグロはかつてほど高値で取引はされておらず、苦境の頃にあったと思います。私が事業プレゼンして「海外にもマグロを広めたい」と話すと、Hさんは従業員を集めて「若い島原君が海外で俺たちのマグロを売ってくれる。そういうわけだからみんな手伝ってくれ」と話してくれました。閉鎖的かつ排他的な業界でもあるので、反発もあったかもしれません。それでもHさんの会社は私の事業を全面的にバックアップするだけでなく、まとまった資金まで工面してくださいました。

上海に戻った私は最初マグロの卸業をしていましたが当時、野菜さえ生で食べない中国人にとってなかなか受け入れ難かったのか、思うように売れませんでした。それならば自分たちで店舗を持ち、美味しいマグロを出してはどうだろうと考えて2005年に天家を創業しました。1号店が軌道に乗って以降は比較的順調に中国で事業を進め、今に至ります。

このように、何か起こしたいと思った時の潮目の変わり時を読むことと、自分にとって重要な人と出会う引きの強さが肝心です。

自分の努力で世の中がどうにかなることなど、そうそうないと思います。もちろん努力も必要ですよ。でも、ある程度真面目に生きている人であればみんな努力して一生懸命生きていますよ。日本人なんか特にそうだと思います。

何かを変えるのだとしたら、それはやはり潮目の良い時です。何をやってもうまくいかない、そんな日々でもトンネルを抜けた先には必ず良い流れがやってくるのです。

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