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ビジネスマンとしての市場価値は、その場所で上がるのか? MicroAd Indonesia榎原良樹氏は、なぜ幹部社員を辞めたのか?

Indonesia
アドテクノロジー業界TOP企業のマイクロアドは、ここ数年アジアでも積極的に事業を展開している。その中でも独自の存在感を示すPT.MicroAd Indonesia COOの榎原氏。現地企業との合弁会社設立から携わり、草創期のインドネシアのインターネット広告市場でトップを目指す。

PT.MicroAd Indonesia  COO

2014.01.28
【後編】挑戦し続けたからこそ、今の自分のキャリアがある-MicroAd Indonesia 榎原良樹氏が、インドネシアで事業立ち上げをするまでの軌跡

自分と年齢の変わらない人たちの活躍に、刺激を受けた。

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大学卒業後、なぜ銀行に就職されたのでしょうか?

就職活動にあたり、社会に出たら一流のビジネスマンになりたい、新聞の一面を飾るようなインパクトのある仕事をしたいと思ってました。当時はまだべンチャー企業は数少なく、そのためには大企業の方が有利だろうと考え、大学卒業後、大手都市銀行に就職しました。

銀行で働いていく中で、銀行員として自分の手掛けた仕事が新聞に掲載されるためには、余程大きな仕事をしなければならないし、また、そういう可能性のあるポジションに就く為には、とても長い年月を費やさなければならない。

色々考えた結果、銀行を3年半で退職し、その後サイバーエージェントに転職しました。

-なぜ、違った業界へ転職しようと思われたのでしょうか?

このままでは、ビジネスマンとしての市場価値が上がっていく気がしなかったんです。

価値を上げるとしたら、まず、銀行に長く務めることは必須。大体は3年サイクルで別支店へ転勤になるのですが、移った支店でも同じような業務を行うんですね。これをずっと繰り返しているのは時間がもったいないと思いました。

また、ちょうどITベンチャーが出始めた頃で、同年代でも自分の力で勝負している人たちが周りにいました。

高校の同級生も、証券会社からサイバーエージェントへ転職し、「大きな会社にいるよりも、自分と年齢の変わらない人たちが、会社を上場させたり、可能性のあるマーケットで活動したりしているのだから、こっちの船に乗り換えた方が良いよ」と言われて、その通りかもしれないと思いましたね。

実際にサイバーエージェントの藤田社長の年齢を調べると、私の一つ年上でした。それなのに、会社を上場させてどんどん大きくしている。銀行とは全く異なる業界ですがとにかく可能性を感じましたし、若いので色んなことに挑戦しようと思い転職しました。

銀行を辞めると決めた時の、周りの反応は?

大企業に入社しずっと同じ会社に勤めるという考えが、今よりも世間では強かったので、退職の話をしたときには異端児扱いされました(笑)。当時の銀行の支店長に呼び出され、「何で辞めるんだ」と聞かれました。

「インターネット業界はこれから成長するだろうし、そちらの業界でキャリアを作りたい」と答えましたが、

その支店長には、せっかく安定した会社にいるのに……と最後まで心配されました。

入社半年で、新拠点の立ち上げを立候補。

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-サイバーエージェントでは、どのような業務をされていたのですか?

在籍した8年3ヶ月のほとんどをインターネット広告代理部門で過ごしました。私は銀行員時代に大阪勤務だったので、サイバーエージェントでも大阪支社に入り、営業として業務を開始。

ちょうどITバブルが弾けた後でインターネット広告を利用する企業がなかなか増えていかない状況でした。ですので、営業成績も思ったように上がらず苦戦していました。入社後半年が経過した時、このままでは転職した意味がない、成長することが出来ないと思って打開策を真剣に考えました。

そして、当時全く手付かずであった東海地区の営業を担当するための名古屋支社の立ち上げを任せて欲しいと会社に交渉しました。

入社たった半年で、新拠点の立ち上げを志願されたのですか。

そうです。しかし、さすがに入社半年のまだ成績が出ていないメンバーに、新拠点立ち上げを任せてよいのかと、会社も迷ったようです。そうは言っても、いつかは名古屋のエリアも誰かがやらないといけないということで、私が担当することに。

それから約8ヶ月間は、大阪と名古屋を新幹線で往復する日々。オフィスはなく、携帯とノートパソコンを持って電源のあるカフェで仕事をするところから始ました。
その後、事務所を構えることができ、名古屋での営業もなんとか軌道にのり、名古屋支社の責任者となることができました。

名古屋支社を任せてもらい、人から認めてもらえるような実績を出せたことが、社会人としてのひとつの分岐点です。

-成功体験によって自信をつけられたのですね。

はい。それからはどんどん結果が出るようになりました。名古屋支社に人を採用し始め、業務がうまく回るようになった頃、大阪支社長も任されることに。

当時、インターネット広告が非常に伸び始めたころで、私が担当になった2004年1月から2008年3月までの間に、売上を10億から60億に上げ、それに伴って従業員も15人から80人に増員しました。

その後も、サイバーエージェントで幹部社員として働いていたのですが、以前より、35歳を一つの区切りとして、ビジネスマンとしてさらに大きく飛躍したい、もう一度自分の市場価値を高めたいと思い、退職することにしました。

起業をした結果、2年で会社をたたむことに。

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サイバーエージェント退職後は、何をされたのでしょうか?

インターネットとはかけ離れた、農業・環境関連のベンチャー企業を起業しました。リーマンショックが起きた頃で、世の中の価値観が物質的なものから精神的なものへと移る転換期だと感じ、エコやロハスという言葉が流行ってきていたので、この分野で何かしたいと思ったんです。

色々と探っていく中で、同じような事業を考えている上場企業の元オーナーと出会い、その人と共同で有機野菜のブランド化事業を手掛けました。

その事業はどうなったのでしょうか?

結果としては上手くいきませんでした。その他にも、環境ビジネスのニーズがこれから増えそうという理由で色々取り組んだのですが、これもうまくいかず。
会社の資本金は私とそのオーナーで3,000万出したのですが、2年でそのほとんどが底を突き、結局最後にはインターネット広告のビジネスで資金を回すようになりました。

当時6人いた社員に辞めてもらい、私ともう一名で事業を続けていたのですが、これだと前にやっていた事と変わらない。

ただ独立をしたかったからではなく、新しいことをやって力をつけたい、市場価値を高めたいと言う思いから退職をし、独立を手段の一つとして選びましたが、これでは意味が無い。
もう一度ゼロから挑戦しようと決意し、会社をたたむ事にしました。

 

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